「アンチコメント」で傷ついた心の処方箋

違う意見があるのは当たり前

SNSで自分の意見を発信して、アンチコメントがついたことはありますか?あるいは人前で自分の意見を言って、それをディスられたことは? 私のSNSの読者さんは優しい方が多いので、アンチコメントをいただくことは殆どないのですが、アンチコメントはいただいたことはありますし、SN以外の場面で自分のやり方や考え方を真っ向から否定されたことは何度もあります。

今回はアンチコメントや否定的意見で心が傷ついた時、どんな考え方ができるか、私の体験を踏まえてお話しようと思います。必要なのは理性的でクリアなものの見方と、穏やかな心です。

(注:この記事では自分の発信が良心に基づいたもので、誹謗中傷や悪意を含んでいないことを前提にしています)

まず初めに、「反対意見があるのは当たり前」と言うことを理解します。人はそれぞれのライフスタイル(下の記事をご参照ください)を持っていて、世界を独自のフィルターを通してみています(アドラー心理学の認知論の考え方です)。同じ状況にいても、同じ話を聞いても、それをどう解釈し意味づけるかは一人一人ちがうもの。ですから、自分の発信した内容が誤解されたり、自分と違う解釈があるのは当然のことです。自分に意見があるように、あの人にも意見がある。まずはそれを理解します。

アドラー心理学で性格は変わるのか

私は基本的に、順序だててわかりやすく話をするタイプだと思っていますが、あるプレゼンテーションをした後に、

ジュバさんの話は、筋道がぐちゃぐちゃで全然頭に入ってこない
資料を見ても、理解するのにすごく時間がかかる
今回だけではなく、ジュバさんの話はいつもすごく分かりにくい

と言われたことがあります。これはちょっと意外でしたが、「そうか、私の話を「わかりにくい」と思う人もいるんだな」「私の「わかりやすさ」と、この人の「わかりやすさ」は同じではないんだな」と思いました。

「反対意見があるのは当たり前」ということが腑に落ちていると、相手の発言を「一つのものの見方」としてフラットに受け取ることができますし、「そうか、そんな風にも捉えられるんだ!面白い!」と、違った視点に気づくこともできます。

意見は意見・絶対的真理ではない

もう一つの大切な考え方は、「意見はあくまでもその人の物の見方であって、絶対的な真理ではない」ということです。意見は、その時の、その人の個人的見解の表現にすぎません。例えば、うっかりしていると絶対的真理に聞こえてしまう「周りのママ友たちの意見」は、ドイツのママ達からは全く違う評価を受けることも十分あり得るわけです。

意見は個人的見解であるだけではなく、変わりゆくものでもあります。私を取ってみても、この5年間での育児や生きることに関する考え方に大きな変化がありました。世論や一般常識でさえ、時代と共に変わるものです。「女性の幸せは結婚したら家庭に入り子供を産み、育てること」というかつての常識は、現代では古びたものですよね。今、自分を批判しているあの人も、明日何か大きな心的変化があり、意見を変えるかも知れませんし、ただその時の心がすさんでいて、辛辣なことを書いてしまっただけかも知れません。

意見は変わりゆく個人的見解。絶対的真理と捉えず、一定の心理的距離を取りましょう。
人の意見は同意せずとも、参考にするだけで十分なのです。

相手が攻撃しているのは意見であって、あなたではない

アンチコメントや批判を受けた時、自分自身が攻撃されているような、あるいは自分の人格が否定されているような感覚になることがあります。相手が出してきた「意見へのダメ出し」を、「自分へのダメ出し」と感じてしまうからですね。

ここで思い出していただきたいのが、「自分=意見」ではない、と言うことです。今の自分はその意見を持っているだけ。その意見は手放したり、修正したりできるもので、自分とは別のものです。自分の意見がお天気だとしたら、自分自身は大きな青空のようなものです。相手がお天気に対してどんな評価を下そうとも、大きな空である自分はその評価の対象ではないのです。

そもそもSNSで開示している自分は、自分自身のほんの少しの部分。大空のように広く、深いあなたを知らない相手が、あなたの人格を丸ごと否定することなど、そもそもできるはずがありません。どっしり構えていましょう。

相手をやりこめたい気持ちが出てきたら

アンチコメントを受けた時、それにアンチコメントで応酬するのは考え物です。SNSという限りのあるコミュニケーション手段を使っての議論は、更なる誤解を生んだり、「売り言葉に買い言葉」のぶつけ合いになる可能性があります。冒頭にも書きましたように、違う意見があるのは当たり前。どうしても両者が合意する必要がある場合を除いて、意見の正誤の議論はしない方が賢明です。

相手に報復したい気持ちが出てきたら、自分が相手に反撃してまでも守ろうとしているものは何か、よく考えてみましょう。自分が守ろうとしているものがわかっただけで(例:自分のプライド)、反撃する意味がないことがわかることがあります。そして、相手から守りたいものが何であれ、それを守るために本当に相手を傷つける必要があるのか、報復コメントが最良の解決策なのか、考えてみます。

怒りを人にぶつけ、相手を威嚇することは簡単ですが、人を傷つけずに自分の大切なものを守ることもできるのではないでしょうか。相手をブロックする、サイトの管理者に連絡するなど、怒りを使わず、穏やかに火を消す方法もあるはずです。悪意のある攻撃に悪意で反応するのではなく、理性と穏やかな心が選んだ建設的な対応を探してみましょう。

自分の気持ちに蓋をしない

最後に、とても大切なこと。アンチコメントや批判を受けて、悲しい気持ち、凹む気持ちが出てきたら、それに蓋をせず、しっかりと感じましょう。 悲しみだけではなく、くやしさや自分の不甲斐なさ等、色々な感情が出てくるかもしれませんが、どんな感情にも、それらを煽ることなく、穏やかに寄り添いましょう。感情が落ち着いたら、上に書いたような建設的な対応ができるようになっていますよ。

つらい感情の受け止め方については、是非こちらの記事をご参照ください。

マインドフルネスでネガティブ感情と向き合う方法・RAINメソッド