苦しい記憶・つらい過去から自由になる方法

自分には苦しみを和らげる力がある

生きていれば誰でも、苦しみを体験します。小さな日常のイライラやモヤモヤから、心が切り裂かれるようなつらい体験まで、苦しみには様々な種類、震度がありますね。すぐに忘れることができる苦しみもあれば、何年も心に残る苦しみもあります。

苦しいことがあった時、私たちは起こった出来事そのもの、あるいはその出来事にかかわった人たちを責めたり恨んだりします。苦しみが強ければ強いほど、悲しみが深ければ深いほど、私たちは自分の感情に触れるのを恐れ、意識を外に向けがちですが、私は、これはとても人間らしいことだと思っています。自分の強烈な心の痛みに触れるよりも、状況・関係者・世界を責める方が楽ですし、つらい時に意識を外に向けたくなるのは、心が持っている一種の防衛本能のように感じます。

同時に、私たちは積極的に自分の苦しみを和らげる力も持っています。自分が受けた心の傷がそれ以上深くならない方向に舵を切り、癒しを促すことができます。過去を悔やむことを止め、今ここに意識を戻すことで、余計な重荷から心を解放することもできます。私たちには、自分の意思で心の舵を切る力、苦しみを和らげる力が備わっているのです。努力と忍耐、時には長い時間がが必要ですが、苦しみを自分の力で和らげることは可能なのです。

自分で苦しみを和らげる方法について詳しくお話する前に、1つの逸話をご紹介します。私がマインドフルネスの講座で何度も先生の朗読を聞き、その度に心に刻んできたお話です。

2匹の狼の話

年老いたインディアンが、自分に起きたとてもつらい過去の出来事と、長い時間が経った今もなお、自分がその出来事と向き合っているということを孫に語りました。それを聞いた孫が「今、その時のことを話すと、おじいちゃんはどんな感じがするの?」と尋ねると、年老いたインディアンは、こう答えます。「心の中に2匹の狼がいるような気持ちだな。一匹は復讐心に燃えて、暴力的。でも、もう一匹は心優しくて寛容だ」。孫は更に聞きます。「おじいちゃんの心の中のその狼、どっちが勝つの?」それに対する老人の答えはこうでした。

「わしが餌をやる方だよ」

 

このお話が教えてくれることは3つあると思います。

ひとつ目は、苦しみを強める思考をくり返すと苦しみは大きくなり、自分を慈しむ思考に注目していけば、心は癒され、優しくなっていくということ。

ふたつ目は、自分の心を恨みつらみ、嫌悪感や罪悪感で満たすのか、それとも優しく寛容な心で自分の傷にに寄り添うのか、自分の意思で決めることができる、ということ。

最後は、この老人が過去の出来事と「今もなお」向き合っているように、このプロセスは長い時間を必要とすることがあります。ですが、どんなに心が暗い時でも、いつでも、何度でも、心の在り方を決め直し、舵を切りなおすことができる、ということです。

これから上の3点を一つ一つ見ていきますが、この3つが腑に落ちると、苦しみと距離をとりながら、自発的に苦しみを取り除いていくことができるようになっていきます。

①苦しい思考を増やさない

私たちは、傷ついた心を抱えているだけでも、充分苦しいのです。人を恨み、状況を呪ったところで、苦しみは増えるだけで減ることはありません。恨みつらみや自分責めなど、自分の苦しみを増やす思考の中におぼれている、あるいはおぼれそうになっている自分に気づいたら、いったんその思考の連鎖を断ち切ってみましょう。自分を苦しめているのは「過去にまつわる自分の思考」であって、今ここの現実ではありません。思考の連鎖が止まったら、理性を使って考えてみます。

「今ここで、私にとって一番心の滋養になることはなんだろうか」

思考の連鎖を止めることで、憎しみで暴れている狼に餌をやるのか、優しく平和を愛する狼に餌をやるのか決める余裕が生まれます。今の自分にとって一番心の滋養になることは、怒りや悲しみに新たに火をつけ、油を注ぐことでしょうか?それとも過去のことは過去のこととして、自分の傷ついた心をただ優しく抱きしめることでしょうか?

今すぐに怒りの炎が消えなくても、悲しみが止まらなくても、それを増長させず、自分自身に理解を示し、優しく接していれば、苦しみはだんだんと減っていきます。優しい心が育つためには、まずは苦しみを増幅させないことが大切、つまり、怒り狂っている狼に餌を与えないことが大切です。

私はしばらく前に、小さな店舗の中で、品出しをしていた店員さんが置き忘れた箱につまずき、大転倒したことがあります。両手が荷物でふさがっていたため、顔面で着地して、身体の右半分もひどい打撲を負いました。ここで、片手であって身体を支えることができなかった自分を批判しても、箱を放置した店員さんに怒りを感じても、私の身体的痛みは変わりません。逆に、批判や怒りで私の心の痛みは増えてしまいます。時間を使うべきは実際の傷の手当であって、怪我のいきさつに腹を立てたり後悔することではないのです。

②心の在り方を自分で選ぶ

インディアンの老人は、悪意を持った狼と心優しい狼のどちらが勝つかは、自分がどちらに餌を与えるかで決まる、と言いました。上の①でも書きましたが、まずは自分がどちらの狼に餌をあげているか気づくことがスタートポイントです。

過去の出来事に対してどんなに怒りを燃やしても、悔やんでも、時間を巻き戻し、やりなおすことはできません。今ここでできることは、傷ついた自分の心に優しくしてあげること。それは思い切り泣くことかも知れませんし、週末どこにも出かけず、家でのんびりすることかも知れませんし、同じように苦しんでいる人とつながることかも知れません。自分のためにお花を買ってくる、一人でカフェに行くなど、どんな小さなことでも構いません。苦しみを感じながらも、自分が少しでも穏やかに、優しい気持ちで生きられるような工夫をしてみましょう。これは自分の意思による決定です。怒り、悲しみに飲み込まれず、流されず、増幅させず、優しい狼に意図的に意識を向ける決意が必要です。自分の心を憎しみや罪悪感で暗くするのか、癒しに向かって光を当てるのか、舵を握っているのは常にあなたであることを忘れないでいてください。

➂何度でもやり直す勇気を持つ

インディアンの老人が語っているのは、彼にとって過去の出来事ですが、年老いた今でも、その経験に対して、二匹の狼が戦い続けています。つまり、このせめぎ合いは長いプロセスであり、時には悪意を持った狼が優勢になることもある、ということです。そして、それでも諦めず、自分に失望することなく、自分の心を慈しむ方へ、柔らかい心を育む方へ意識を向けていく必要があります。

例えば、「過去に自分を深く傷つけた人を赦す」には、時にとても長い時間がかかります。赦せたと思っても実は赦せていなかったことに気づいたり、ふとした時に強烈な怒りが戻ってくることを経験した方もいらっしゃるかも知れません(私も似たような経験があります)。赦せる日など来ない、もう心の平安など取り戻せない、そんな想いが湧き上がる時、優しい狼に餌を与え続けるのは簡単なことではありません。ここで必要なのは、何度でもやり直す勇気です。時に心が折れてしまう自分の人間らしさ、自分の努力を認め、労い、力が戻ってきたらまた立ち上がりましょう。自分を暖かく支えてくれる仲間や家族の力も借りましょう

滑走してもうまく風に乗れず、飛んだと思ったら墜落するひな鳥は、それでも滑走を繰り返すうちに、いつか風を両翼に受けて空高く飛ぶことができるようになります。私たちも、勇気を持ち、心優しい狼に餌を上げつつけていれば、いつかは空から地上を見下ろすことができます。「あの出来事も、私の人生に必要だったんだ」と思える日がやってきます。

強い怒り、深い苦しみから自由になるには時間がかかることもあります。くじけそうになることも、諦めたくなることも当然あります。ですが、必ず自由になることができるのです。私たち一人一人にはその智慧があり、それを実行する力も与えられているからです。心が苦しい時、この3つのアプローチを思い出してみてください。