避けられない人生の困難に向き合う方法・ボールが落ちたところから始める勇気
一生懸命に準備したのに失敗した…どうして?
晴天の霹靂、なんでこんなことが私に起こるの?
皆さんもそんな風につぶやいた瞬間があるのではないでしょうか。もちろん私にもあります。人生には想定外の困難がつきものですよね。
どうやっても出会ってしまう人生の困難に向き合う方法は色々ありますが、今日は私なりの考え方をご紹介します。なぜか先日、亡くなった父が好きだったゴルフのことと、父がよく見ていたテレビのゴルフトーナメント中継を思い出しました。その時に気づいたことを使ってお話しようと思います。
ボールは想定外の場所に落ちるもの
ゴルフトーナメントの中継を思い出しながら、まず最初に気づいたのは、どんなに優れたプロゴルファーでも、ミスショットをするということでした。ここぞというところでホールを外したり、狙ったコースから大きく球筋がズレてしまったり。レベルの高いトーナメントではあまり起きませんが、池に入ったりバンカーに落ちたり、ということもあります。ボールは想定外の場所に落ちるものなんですね。
私たちは誰もが不完全。どんなに一生懸命努力しても、準備しても、ここぞという時に失敗することがあります。また、自分とは関係なく、外的環境(家族生活や会社生活)が突然変わり、苦しみが不意に降ってくるということもあります。
人生には喜ばしくないハプニングが起きるもの(ボールが想定外の場所に落ちること)は当たりまえであり、生きている以上誰もがそういったハプニングを経験するのだと分かっていることは、困難に向き合う心の基盤になります。もちろん、そういった事態になった時、心は乱れるのですが、この点がわかっているだけで心の平静を取り戻し、現状に現実的に向かいやすくなります。この考え方は、マインドフル・セルフコンパッションで「共通の人間性」と表現しているものです。
こちらの記事もご参照ください:
https://tomoko-dziuba.com/blog/mindfulness/2896
ボールが落ちたところから打つしかない
晴天の霹靂、受け入れがたい状況…困難が降りかかった来た時、誰でもそれに抵抗したくなります。こんなことが起こるはずがない、あり得ない、あいつのせいで…心の中に様々な感情・思考が渦巻きます。人間ですから、当然のことですね。
ですが、どんな状況であっても、私たちはボールが落ちたところから次のショットを打つしかありません。なぜここにボールが落ちてしまったのか、その理由を考えるのは、自分を責めたり人や状況を呪うためではなく、次のショットをできるだけよいものにするため。それに、理由を考え尽くしても、その答えが出ないことだってあります。自己批判や人への恨みつらみ、答えの出ない問を何度も自問することは、次のショットに集中するエネルギーをそいでしまいますので、「なぜ」の問いが沸き上がってきた時は、その質問の目的をしっかり見極めみましょう。
私たちは、ボールがバンカーにあろうが、林の中にあろうが、今の風向き(自分の置かれた状況)今自分が持っているクラブ(自分の能力)で、そこから自分なりのベストショットを打ってみるしかありません。どんなに小さいものでもいいので、今ここで自分ができるベスト行動を起こしていくことが大切です。この場合、「一旦休む」も大切な行動のひとつであることを忘れないでください。自分のベストが「今は休む、行動しない」なら、それでOK。自分のベストの内容は自分で決めていきましょう。
少ない打数でホールを終わらせなくていい
ゴルフの場合、できるだけ少ないショット数でホールを終了させるのが良いとされていますね。ですが、人生は必ずしもそうではありません。迷子になり、回り道をし、数々の試行錯誤を繰り返しながら自分に必要なことを学び、少しずつ進んで行くのも素晴らしい人生です。「速く、楽に」ゴールすることだけが人生の形ではありませんし、そういった人生が「良い人生だ」とも言えません。「失敗し、迷い、打ち直しすることは悪いことだ」という思い込みを少しでも緩め、失敗を受けとめ、自分の糧にする姿勢を持ちたいものですね。
それから、もう一つ忘れてはいけないこと。失敗、想定外の困難を前にして、心傷つき、涙が止まらない時は、何をおいても自分を労わってください。上にも書きましたが、「今は動けない」と思うのなら、動かなくてもいいのです。自分の心の雨が止むまで、自分が自分に傘を差しだし、ゆっくりと雨宿りをしてください。次のショットを打つのは、雨が止み、雲間から光が差してきたらでも決して遅くはありませんから。