「自分への優しさ」と「甘やかし」の大きな違い

「自分への優しさ」と「甘やかし」は全然違う!

自分に優しくすることと、自分を甘やかすことの違いがよく分からない、という声をよく聴きます。「自分に優しくする」「自分へのご褒美」と言いながら、甘いものを衝動的に買い込んで食べたり、ダラダラとネット漫画やYouTubeを見続けた結果、言葉にできないようなモヤモヤや罪悪感を感じた経験がある方も多いのではないでしょうか。自分に優しくしたつもりでも、(一時的に気分が良くなっても)結果的に気分が落ち込んだり、似たようなダラダラ行動を繰り返す場合、それはあなたにとっての「甘やかし」だった可能性が大です。

今回の記事では、「自分への本当の優しさ」と「甘やかし」の見極め方と、自分に本当に優しくするとはどういうことかについてお話しようと思います。

自分への優しさと甘やかしの違いを簡単にまとめるとするなら、

  • 甘やかし=自分のためになっていない「ゆるさ」
  • 自分への優しさ=自分の心身の健康に1)本当に2)中・長期的にも貢献する行動

と言えるのではないかと思います。つまり、その行動が

1.本当に自分のためになっているか
2.中・長期的に自分をサポートするか

この2点が甘やかしと本当の優しさの見極めポイントになります。

「今の自分が本当に必要としていること」って何?

自分に「自分に優しくしよう」「自分を楽にさせてあげよう」と感じる時、私たちは苦しい、しんどい思いをしていますよね。この時、自分の苦しみに寄り添わず、とにかく「今のしんどい状態を終わらせよう」と、反射的で表層的な行動をとると、それは「甘やかし」になることが多いもの。

例えば、上司にねちねちと小言を言われ、むしゃくしゃした気分になり、とりあえずカラオケに行って一人で歌いまくる。もちろんこれで気持ちがスッとして、心が軽くなるかもしれませんが、それは上司の言葉に傷ついた心にとって、本当のお薬だったのでしょうか?明日からまた、上司にわだかまりの無い笑顔を向けたり、上司と腹を割って話をする冷静さにつながるのでしょうか?

上司の言葉に傷ついた自分に必要なのは、カラオケでの憂さ晴らしではなく、「ああいう言葉を言われると落ち込むよね」「頑張っているのに、それが認められないのはつらいよね」といった共感の言葉なのかも知れません(感情へのサポート)。あるいは、仕事そのもので疲れている上、上司とのやり取りで感情的に疲れた自分に必要なのは(感情の波を体験すると、身体も疲れるものです)、一刻も早く家に帰り、栄養のバランスの取れたものを食べ、しっかり眠ることかも知れません(身体面へのサポート)。

自分の感情や身体の状況にしっかりアクセスすることを怠り、自分が「本当に必要としていること(ニーズ)」を探さないまま、「とにかく一刻でも早く不快感を消そう」とすると、短絡的で的外れな行動を選んでしまうのです。行動が短絡的で的外れだから、それをした後にモヤモヤや罪悪感を感じるわけです。

自分が苦しい時、しんどい思いや不快な身体感覚に寄り添うのは楽ではありませんが、ここは敢えて自分の苦しみが伝えてくることに耳を傾け、自分の心と身体が本当に求めているものをすくい上げてください。反射的に行動するのではなく、一旦止まって、

今の自分に本当に必要なものは何だろう

という問いを自分に投げかけ、自分の中から答えが出てくるのを待ってみてください。

この時、少し自分一人になる時間を取るのがコツです。目を閉じて、胸に手を当てるなどして、今ここの自分の心と身体との接点を取り戻してください。時間が無い場合でも、お手洗いに行った時や、駅のホームで電車を待っている時にもできることです。

自分の内側から出てきた答えに応じる行動は、甘やかしではなく、本当に自分に優しくする行為になっているはずです。

 

その行動、将来の自分のためになる?

本当に自分に優しくするためには、その行動が中・長期的に自分の心身の健康に貢献するか、という観点も忘れてはいけません。

料理を作る元気も気力もないから、今日はジャンクフードでいいや
仕事でへとへとだから、今日はYouTube動画でも見て頭を切り替えよう

こういった行動は、上のセクションで書いた「今の自分に本当に必要なものは何だろう」の答えであれば、立派な「自分への優しさ」になります。私自身も、身体も心もへとへとのときはマクドナルドでテイクアウトをしたり、お笑いのYouTube動画を観たりして心身のバランスを取っています。

ですが、「しんどいから」という理由で、すぐにジャンクフードを食べる、「気分転換」と称してダラダラと何時間も動画閲覧、ネット漫画を読み漁ることは本当に自分のためになっているのかと言えば、必ずしもそうではありませんよね。単発では「自分への優しさ」である行為も、それを連発・頻発すれば中・長期的に自分を害することがあります。中・長期的に自分を害する行為を自分に赦し続けることは、「甘やかし」です。

例えば、自分の大切な人がいくらジャンクフードが好きだからと言って、一日の食事の大半をジャンクフードで済ましているのなら、「ねえ、それって身体によくないよ。食生活、少し変えた方がいいよ」とアドバイスすると思います。YouTube三昧で家に籠りきりの友達には、「時々外に出て、身体を動かした方がいいんじゃない?」と別の行動を促したりもするでしょう。

自分の大切な人が、なかなかやめられない癖や、乗り越えたくても乗り越えられない困難を抱えていたら、いつかはその癖から自由になるように、いつかは困難を乗り越えられるように、忍耐強くサポートしたり必要があれば見守ったりするのが本当の優しさですよね。


それと同じように、
大切な自分が心も体も健やかに生きていくことをサポートする行為が、自分へのやさしさなのです。大切な人をサポートするのと同じように、自分をサポートすること。それがたとえ、自分を律する、ちょっと「厳しい」行為であったとしても、それは立派な「自分へのやさしさ」なのです。

 

自分を優しくいたわり、立ち上がる力を与えよう

自分に優しくするということは、自分のニーズを丁寧に拾い上げ、それを満たしてあげること、そして必要によっては自分を律し、自分の手を取って立ち上がらせ、これから進むべき方向に自分を促す、ということ、どちらも含まれます。今のあなたのニーズを満たし、明日を生きる力を与え、将来のあなたを育てるために、自分へやさしさを贈り続けてください。

しんどい思いをしている自分に何かしてあげたいと思う時、この記事を思い出してくださいね。