自分の強みを自分で認められない理由とその対応策

人から「xxさんて、そんなことができるんだね!」「うわあ、すごい!xxさんて○○が上手だね!」と言われた時、社交辞令として「いやいや、大したことないよ」とか「とんでもない、私なんて…」と謙遜した答えを返すことが多いですよね。そんな時でも、心の中では「うん、自分はこれは得意!」と思えていますか?それとも「そんな強み、大したことない」「自分には強みなんてない」と思っていますか?

自分の強みを積極的に認め、その強みを他者貢献に生かしていくことは、幸せへのパスポートです。自分の価値を素直に認め、それを喜び、自分の強みを生かして他者を助けることに喜びを感じられる人は、幸せな人ですものね。

そうはいっても、自分の強みを素直に認められないことも多いのが事実です。今日は自分の強みを受けいられられない理由と、受け入れ方について書いていこうと思います。

自分の強みを素直に認められない理由

人から「xxさんてすごいね!」「こんなこともできるんだね!」「xxが得意なんだね」と言われ、それを自分で丸ごと認めて「そう、その通り!自分、それが強みだから!」と思う時、どんな気持ちがしますか?

傲慢な感じがして、まわりから嫌われるのではと思う
得意・できる、と宣言した途端、失敗(期待から外れる)が怖くなる
他の人に劣等感を与えてしまうかもしれない

…そんな気持ちになる方も多いのではないでしょうか。

これらは全て、ごく自然な気持ちです。人間は共同体の中で生きることに安心感を覚える動物なので、共同体からはじき出されたり、居心地が悪くなるような行為に対して本能的に不安を感じるものだからです。人間進化の過程においては、共同体からはじき出されることがそのまま死を意味する時代もありましたので、怖さを感じるのは当然なのです。ですから、自分の強みを受け入れられない自分にダメ出しをする必要はありません。

ですが、自分の強みを認識しないでいるのは、とても勿体ないこと。なぜなら、自分の強みが共同体の中で生きることで、自分も共同体(家族、クラスなど、あなたが所属する集団)のメンバーも、豊かになるのですから。

あなたの強みを「あなたのもの」と考えない

自分の強みや得意を「私の努力だけで作った能力」と捉え、それを認めることは、傲慢になりやすく、上述の不安にもつながっていきがちです。ですので、自分の強みはたくさんの人の協力や支えのおかげで作られたものと考えてみましょう。

例えば、私の強みの一つとして、「物事をわかりやすく説明できる」ということがあります。自助努力もありましたが、これは、私が勤務する会社でいろいろなプレゼンテーションや説明の機会を与えてもらったこと、先輩や上司の上手なプレゼンテーションから学べたこと等、今まで私を育ててくれた上司やたくさんの同僚の協力や支えがあったおかげで育まれた強みなのです。

特別な能力ではないと思われる「読み書き」についても、同じです。皆さんが読み書きできるのは、皆さんの自助努力だけではなく、学校の先生や家族の支えがあったからこそですよね。今年の夏、実家に帰った時、私が小学一年生の時につけていた日記を手に取りました。当時、担任の小山先生は毎日私の日記にコメントを書いて、下校時までに日記帳を返してくださっていたのですが、今読み返してみると、内容には一切修正を加えず、ただ、私が更に書きたくなるようなコメントを書いてくださった先生の優しいお気持ちが文面から伝わってきます。私が今こうして皆さんに向けて文章を書くことができるのも、小山先生がいてくださったからなのです。

自分の能力・自分の強みはたくさんの人の支えの結果生まれたもの。そう考えることができると、自分の強みを認め、それを積極的に使っていくことは、自分を支えてくれたたくさんの人たちへの感謝の表明、ということになるのです。あなたの能力に誇りを持つということは、感謝の気持ちを表すことで、傲慢でも自己中でもないのです。

 人の強みに優劣は無し・嫉妬は不要

自分の強みを感謝をもって認めることができるようになると、人の強みに対しても嫉妬したり羨んだりすることなく、素直に認めることができるようになります。自分の強み・得意に感謝と満足を感じれば感じるほど、「あなたの得意はそれなんですね!私はこんなことが得意なんですよ!」と素直に言える心になっていきます。自分の強み、相手の強み、補い合いながら、より良い共同体を作っていけばいいのです。そこに争いは必要ありませんね。

さあ、あなたのその強み、その得意の後ろにはどんな人の支えがありましたか?ちょっと想いを馳せてみてください。あなたが「私はこれが得意!」「私はこれができる!」と思う度に、あなたを支えてくれた人は喜びを感じていますよ。あなたの強み、是非、輝かせてくださいね。