過干渉が引き起こす問題と対処法・アドラー心理学とマインドフルネスの観点から考える
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過干渉が引き起こす問題と対処法・アドラー心理学とマインドフルネスの観点から考える
あなたはつい誰かの言動に口出しをしてしまうタイプですか?それとも相手を信頼して、見守れるタイプですか?もちろん、誰かに対してアドバイスすることは、相手が新しいものの見方に気づいたり、問題解決の糸口を見つけるための大きな助けになったりします。私も上司からもらったアドバイスに何度も救われた経験があります。
ただ、それが子育てであろうが、会社の部下とのやり取りであろうが、相手に過剰に干渉することは、アドラー心理学的にはお勧めできることではありません。今回のブログでは、過干渉が引き起こす不具合について、そして過干渉の代わりにできること、更に過干渉を止めるための心の環境づくりについてお話しようと思います。
1.なぜ過干渉は避けるべきなのか
この記事を読んでくださっているあなた自身も、自分が常に誰かの監視下にあり、隙あれば「ああしなさい」「こうしなさい」と言われ続けたら、遅かれ早かれ嫌気がさしてくる思います。
人間は本来、自由に生きたい、自分らしくありたいと願う生き物ですから、過干渉に対して嫌悪感を感じるのは当然のこと。私も過剰に干渉されるのは好きではありません。まずは自分の考えを試してみたい、そこから自分で学んでみたい、そんな想いがありますので、それを人から強制的に阻害されると、行く手を阻まれたような不満を感じます。
そして、相手が繰り返し干渉をしてくる場合、相手に対する嫌悪感を感じることももよくあります。嫌悪感が怒りや憎しみにまで発展してしまい、人間関係を壊す可能性もあります。親子間、上司部下の関係がぎくしゃくする原因の一つが過干渉であることはとても多いです。つまり、より良い人間関係のためにも、過剰な干渉を続けることは避けた方が賢明なのです。
過干渉を避けた方がいい理由は、過干渉をしてくる相手との人間関係に悪影響を与えることだけではありません。過干渉を避けるべき一番の理由は、何をおいても「過干渉が相手の自立を妨げるから」です。
ちなみに、アドラー心理学が目指す人間の在り方は
1)自立していること
2)他者との協力関係の中で生きていけること
この2つです(自立して自分勝手に生きていけばよいのではなく、他者を信頼し、協力しながら生きていくことが目標です)。
この目標の一つ目、「自立する」というのは、「自分の頭で考え、自分の力で自分の人生を切り開いていくこと」とも言えますが、過干渉は、この自立を妨げる大きな障害になるのです。
例えば あなたが誰かに、
- これはこうしなさい
- こういう時はこうしなさい
- なんでxxしないの?
- はやく○○してしまいなさい
…という感じで
細かい指示を受け続けていたらどうなるでしょう?そして、その指示に従ってさえいれば「平和に暮らせる」としたら、 あなたの考え方や行動パターンはどうなるでしょうか?誰かが常に答えをくれるのですから、自分で考えることを止めてしまいませんか?いつも「転ばぬ先の杖」を渡されるので、失敗を体験できず、結果的に打たれ弱くなりませんか?だから失敗が怖くなり、チャレンジからしり込みしたくなりませんか?結果的に、自分で「責任を取る覚悟」が持てなくなりませんか?指示命令を下す相手の顔色ばかり見てしまいませんか?
…このように、干渉を受けすぎると、
- 自分で考えることが無くなり、
- 自己責任で行動することが怖くなり、
- 失敗が怖くなり、
- 人の顔色を見ながら生きるようになる、
という可能性があるのです。
つまり、自立とは逆の生き方を選ぶ癖がつく可能性があるわけです。
私は娘に対して極度の過干渉ではありませんでしたが、それでも娘にはしょっちゅう「xxしなさい」「xxはもう済ませたの?」「どうしてxxができないの?」「もうxxができてて当たり前でしょ?」といった「干渉の声がけ」をしていました。結果的に娘は、自分で決めることを恐れ、失敗を恐れ、私の顔色ばかり見る、ビクビクした子になりました。アドラ-心理学的な関わり方をした結果、今はその真逆、自立した一人の若者になっていますが、行き過ぎた干渉は、私たちが想像する以上に、干渉される側の人生に暗い影を落とすのです。
このように過干渉は、直近の失敗や不具合を避けることはできても、中・長期的には相手のためになりません。この記事では私と娘の例を使いましたが、上司部下の関係でも同じです。部下に指示ばかり出して、自分で考えて行動する指導を怠ると、部下はいつまでたっても自走してくれません。
相手に自分の力で自分の人生を切り開いてもらいたい、自分の力で問題解決できるようになってほしい、そう思うのであれば、過干渉はすぐにでも止めた方がいいのです。
2.過干渉の代わりにできること
それでは過干渉の代わりに何をしたらいいのでしょうか?私は「支援すること」をご提案しています。相手の行動にいちいち口をはさんで修正させたり、転ばぬ先の杖として、自分の考え方を相手に押し付けるのが過干渉ですが、アドラ-心理学的な代替案である「支援」は、
- 相手を信頼、尊重し、
- 相手の自立を妨げないように見守り、
- 必要な時だけ手を差し伸べる
という関わり方です。
こう書くと簡単に聞こえますが、実際にやってみると、そう簡単ではないことがわかります。特に過干渉気味な関わり方を長い間続けてきた場合は、過干渉から支援に切り替える忍耐と練習が必要になりますので、 それぞれのポイントについて、できるだけ具体的に説明してみます。
信頼と尊重を示す
あなたにもきっと「これは自分でやってみたい!」「これは私のやり方で進めたい!」と思ったことが、一度や二度はあると思います。そんな「やりたい」「試してみたい」という気持ちを相手も持っているとしたら、相手はあなたに何を期待すると思いますか?きっとあなたにその想い、やり方を尊重してもらいたいと思っているはずです。
ですので、例え相手のやり方が今一つ納得できないものであっても、相手を信頼し、相手の意向をできるだけ尊重してみましょう。もしも手放しで信頼することが難しいなら、「私だったらこういうやり方をするよ、もしよかったら参考にしてみてね」という感じで、強制力の無い提案をしてもいいです。
ここで大切なのは、相手に自分の提案を受け入れさせようと説得するのではなく、自分の意見はあくまでの方法のひとつとして提示し、相手に選択肢を与えるということです。
(また言うまでもありませんが、相手の意向が社会的なル-ルに反するものであったり、自他に危害を与えるものである場合は、相手の提案に対して明確な「NO」を伝えて下さって構いません。相手の責任能力を考慮して、危険なものは危険であること、ルール違反はル-ル違反であることを説明してください)
そして、相手の意向が家族の輪を乱したり、家族の誰かの負担になるような場合は、家族全員で話し合いの場を持つことをお勧めします。上述の通り、「自立すること」と「他者との協力関係の中で生きること」は二つの車輪のようなものです。他者との軋轢が生じる場合は、是非話し合いで妥協案を探ってみて下さい。こういった「話し合いによる解決」も大切な人生経験になります。
見守る
一旦相手に任せたら、関心を寄せながら過程を見守ります。
ここで大切になってくるのが、相手を「見張らない」ということ。「見張る」と「見守る」を混同している方が多いのですが、「見張る」にはあなたの強い期待が隠れています。自立のためには結果よりも試行錯誤の過程を体験するのが大切ですから、結果を求める気持ちを手放し、頑張っている相手に暖かい、応援の眼差しを向けてみます。
また、「任せたのだから私は知らないよ、勝手にやりなさい」というスタンスではなく、「困っている様子はないかな?」という関心を持ち続けることも大切です。この「相手に興味を持ち、関心を寄せる姿勢」が、次の「必要な時には手を差し伸べる」のポイントにつながっていきます。
必要がある時には手を差し伸べる
相手に関心を寄せて見守っていると、相手が行き詰まったり迷ったりしている様子に気づくことがあります。そんな時には、まず相手に手助けが必要か尋ねることから始めます。これもポイントA.で述べた提案の仕方と同じで、「相手に選択肢を与える」ことです。
ですので、相手が行き詰まったり、困っている時には
- だから言ったじゃないの!
- 私が言ったようにxxすればいいんだよ!
といった、相手の非を責め、自分の意向に沿わせる言葉がけではなく、
- 困っているみたいだけど、大丈夫?
- 私に何かできることはある?
- できることは何でもするから、必要ならいつでも声をかけてね
のように、
1)あなたが相手の葛藤・迷いを理解しており
2)必要に応じていつでも支援する用意がある
ということを伝えます。
そして、相手が「助けてほしい」といった時だけ、手を差し伸べます。
こんな感じで、私は私の娘の中高生時代を「支援」してきました。中学生の頃は、娘自身に「自分で決める」習慣も自信もなかったので(私の育て方のせいだったのですが)、ずいぶんと娘からアドバイスを求められました。
高校生になってからは、自分で計画を立て、コツコツ勉強し、私が何もアドバイスしなくても、中くらいの成績を取れるようになりました。それでも苦手な教科が残りましたが、「オンラインの塾に参加したい」とか、「この参考書を買って欲しい」とか、困った時は自分から支援を求めてきたので、その時は全力でサポ-トしました。
「私が何もアドバイスしなくても」と書きましたが、娘は娘でかなりの試行錯誤をしていました。納得できない点がついて返ってきたテストを前に(ドイツの学校のテストは記述式なので、思いがけない点がつくことがあります)ボロボロ泣いている娘の背中を、ただただ、娘の涙が枯れるまで、無言でさすり続けたこともあります。
そんな過程を見守り続けるのは、決して簡単ではありませんでしたが、娘が
- まずは自分でやってみる
- 失敗したら何度でも工夫してやりなおす
- どうしても前に進めない時は、ママ(私)に頼る
というプロセスを繰り返してくれたおかげで、娘は大きく成長してくれました。もちろん私も成長することができました。その背景にあったのが、今日ご紹介した3つのポイントです。
3.過干渉を止めるための「心の環境づくり」
相手を信頼・尊重し、見守り、必要な時にだけ手を差し伸べること、これらは実践してはじめて、少しずつできるようになっていくことです。
ただ、これらを実践していくには、何よりもあなたの心に余裕があることが何よりも大切です。おおらかな気持ちで見守り、ネガティブ感情に吞み込まれない心の余裕を作る秘訣もお伝えしておきますね。
心を縛るものを捨てる
色々な「べき・ねば」のル-ルに自分自身が縛られていたり、相手の将来に不安ばかり感じている状態で、あなたは相手を心から信頼できるでしょうか?手放しで見守ることはできますか?できないのではないでしょうか?
様々なル-ルや思い込み、執着でがんじがらめになっている心には、余裕がありません。
- 宿題は帰宅後すぐにやらねばならない
- 大学に進学せねばならない
- 留年は恥ずべきことだ
…そんな「べき・ねば」を絶対化すればするほど、ちょっとでも自分の「べき・ねば」から外れることが起これば、心には強い怒りや不安、落胆の感情が沸き起こってきます。
そしてその怒りや不安、落胆の感情を自分で受け止め、自分で処理する余裕と力がないがゆえに、相手の行動を変えさせることで自分の感情を落ち着かせようとしてしまうのです。厳しい言い方になりますが、相手に口出しするのは「相手のためを思って」ではなく、むしろその逆、「自分の感情を落ち着かせるために相手に特定の行動を迫ること」なのです。相手を自分の意の通りに動かすことで、(たとえ一時的であっても)あながの気持ちが収まるのですから。
ですので、相手をどうこうしようとする前に、自分自身の心にどれだけ余裕があるか、どれだけ柔軟性があるのかを見てみてください。
自分がしがみついているルールや思い込みを見直し、それを手放したり緩めたりすることはできるでしょうか?心は、執着から自由になればなるほど、柔らかく、愛情深くなるものです。手放せるものは手放し、緩められるものは緩め、心の重荷を自分自身で軽くしてください。軽くなった心には、自然と余裕が生まれてきます。
感情の嵐の中でもしっかり立てる自分をつくる
また、自分の心に生まれてくる様々な感情をありのままに受け止める力をつけることも、心の余裕作りに大切になってきます。感情に飲み込まれ、どっぷり溺れてしまったり、日常の出来事に大きく一喜一憂することは、心のエネルギーを大きく消費させます。ですが、感情の嵐の中でも落ち着いて立っていられる自分がいれば、大抵の出来事は乗り越えていけます。
私がお伝えしているマインドフルネスでは、不安は不安として、怒りは怒りとして、落胆は落胆として、どんな感情も、「今の心の中のお天気」として認めていく姿勢を取ります。マインドフルネスの実践を通して、感情に対する「暖かく落ち着いた向き合い方」を習得するのもお勧めです。
このブログにはマインドフルネス関連の記事を掲載していますので、是非そちらもご参照ください。
しんどい感情と共にある自分に優しく接する
そして、感情にもまれ、しんどい思いをしている自分に優しく寄り添う力も大切です。怒りや不安、落胆といったネガティブ感情を受け止めることは、たとえ練習を積んだとしても、必ずしも心地の良いものではありません。
ネガティブ感情に心が揺れ、心地悪さを感じるのは、あなたが人間だから。そんな人間らしい自分をぎゅっと暖かく抱きしめることができる優しい自分がいると、まるでお守りを持っているかのように、安心して感情と共にあることができます。
- こういう日もあるよね
- こういう体験は、正直つらいよね
- 嫌なことが続くと、やっぱりしんどいよね
…こんな風に、自分の気持ちに正直になり、あたかも大切なお友達に声をかけるように、自分が聴くと楽になる言葉がけをしてみましょう。あなたがしんどい時、あなたの最強のサポーターになれるのは、あなた自身なのですから。
これはセルフ・コンパッションのスキルになりますが、こちらもブログに記事をアップしています。是非ご参考にしてください。
今回は過干渉が引き起こす不具合について、そして過干渉の代わりにできること、更に過干渉を止めるための心の環境づくりについてまとめてみました。
お役に立てれば幸いです。