人を赦せない気持ちとの向き合い方

なぜ「赦せない!」と思うのか

あなたには「赦せない!」「大嫌い!」という人はいますか?「苦手」という比較的マイルドな気持ちから「絶対に赦せない!」という憎しみと、幅は広いですが、人を嫌う気持ちは心を疲れさせますよね。今回は、私の経験、マインドフルネス、アドラー心理学を基にして、「人を嫌う気持ち」「赦せない気持ち」との向き合い方について書いてみたいと思います。

ちなみに、私が過去に「嫌いだ」「赦せない」と思った人は全て、下の3つのカテゴリーのどれかに分類できます。あなたの場合はどうでしょうか?

1.私を傷つけた人
2.私の大切な人を傷つけた人
3.私が大切にしていること(夢、世界観など)を傷つけた人

赦せない、大嫌い、という気持ちは、自分自身と自分と同じくらい大切な人・ものを守ろうとする気持ちと、それが叶わない悲しみがベースになっているように思います。瞑想や内観を通して「自我は存在しない、だから守るものなど無い」と達観できれば良いのですが、なかなかそこまで行きつけないのが人間ですよね。

私もまだまだそのような境地に至っていないので、いまだに「嫌いな人」がいます。私の「嫌いな人」は、人の夢や努力をバカにしたり笑ったりする人なのですが、実際に身近にそういう人がいるおかげで、私のその人に対する嫌悪感を通して色々なことを学ぶことができました。今日ご紹介する考え方がご参考になれば幸いです。

マインドフルネスを使った「憎しみの緩め方」

苦手だ、嫌いだ、赦せない…嫌いなあの人のことを暇さえあれば考えていませんか?嫌悪にまつわる思考を心の中で繰り返していると、赦せない気持ちは消えないどころか、むしろ強くなってしまいます。あの人に言われたあの言葉、あの時の場面は、あなたが頭の中で再現させているだけで、「今ここ」にはもうありません。あなたの心は過去の苦い思い出で一杯、苦しくて仕方ないかも知れませんが、意識を今ここに向けてみたら、実は気持ちの良い夕暮れが、あなたを優しく包んでいるだけかも知れません。

「今ここ」では何も起きていないのに、あの人があたかも今も自分に語り掛け、何か嫌なことをしているかのように想像するから赦せなくなるのです。ですから、憎しみ、嫌悪感が湧き出てきたら、それに気づき、その感情を増幅させるような思い出の連想ゲームをストップさせましょう。

私のケースで説明しますね。過去、私の嫌いな人が娘の前で娘の夢をバカにした記憶がフッと出てくると、「娘を傷つけたあの人、やっぱり大嫌いだ!」という思考が出てきます。この時点で、「あ、私は過去のあの事を思い出しているんだな、だから怒りが湧いてきたんだな」と気づきます。気づくことができると、「そうだ、そういえばあの人、あの時はあんなことも言ってた!本当に嫌な人!」というような、嫌な出来事に関連する他の記憶が出てくるのを止めることができます

思考の連想ゲームが止まると、嫌悪感は育つことができなくなるので、だんだんと収まっていきます。生まれたばかりの台風に暖かい湿った空気が入り込まなければ、成長が止まり、いつか弱まるのと同じ仕組みです。怒りの感情が強い時は、それを胸の詰まり、胃の辺りの重さ、顔のほてりなどの身体感覚で捉え、身体感覚だけを感じていくことをお勧めします。あの人のあの言葉は、頭の中にしかないもの。もう存在していないことに感情を煽られる必要はありませんし、出てきた感情も、穏やかに、心のお天気として眺めていれば、必ず消えていきます

怒り・憎しみを煽る思考に気づき、連鎖を止め、感情が弱くなるのを待つ。これがマインドフルネス的な対症療法です。

アドラー心理学を使った「憎しみへのアプローチ」

「赦したいのに赦せない」時の考え方

人に対する嫌悪感、憎しみを消したいと思いつつ、いつまでも「赦せない」のは、自分の中で実は「赦さないと決めている」と考えるのがアドラー心理学です。自分なりに赦さない目的があり、その目的がある限り、憎み、嫌い続けるのです。赦さない目的は色々ですが、例えば

1.赦してしまうと自分が負けたような気になる、相手の価値観が正しいと認めることになる気がする
2.赦してしまったら傷ついた人を守れなかったような気がする(これからも守れない気がする)
3.憎しみ・怒りのエネルギーから生きる力をもらっている

等があるかと思います。アドラー心理学的にみると、赦せないのはこれらの「憎む目的」を達成するために「赦さない選択をし続けている」ということになります。先のマインドフルネス的な対症療法で「思考の連鎖が止まらない」という場合は、「止まらない」のではなく「止めないように意図的に記憶を引き出している」という風に解釈します。

赦したいのに赦せない場合は、自分の憎しみの目的を探し当て、その目的が建設的かどうかを考えてみましょう。建設的でないと思えるのなら、その目的を手放せるか、あるいは目的へのしがみつきを少し緩めることができるのか見てみます。私の場合は1.のケースなのですが、考え見てれば、相手を「あの人はああいう価値観なんだな」と受容したからと言って、相手の価値観に賛成するしたわけではありません。あの人はあの人、私は私。それぞれが違う価値観を持っていて、そこに勝ち負けを持ち込む必要はないし、同意する必要もない、そう割り切ることができ、憎しみの気持ちを手放した方が自分のためだ、建設的だと納得できれば、1.の目的は消えてしまいます。

怒り・憎しみの下にある悲しみに気づき、寄り添う

アドラー心理学では、怒り(二次感情)の下には悲しみ、落胆などの感情が(一次感情)隠れており、私たちはその一次感情を代弁するために怒りを使っていると考えます。あなたの憎しみ・嫌悪感の本当の姿は傷ついた心であって、悲しみの表現として怒りがある、という捉え方ですね。ですので、もしも相手に怒りをぶつけたくなったり、怒りで胸が一杯になったら、まずは怒り下にある悲しみに触れましょう。怒りの下にある悲しみは、上の「マインドフルネスを使った憎しみの緩め方」でご紹介した思考の内観、身体感覚への寄り添いの過程でも浮かび上がってくることがあります。どちらの場合でも、悲しい気持ちに優しさと理解で寄り添うことが大切です。

怒りが強いほど、その下にある悲しみも深いものです。時には悲しみに触れること自体が怖く、とても勇気が必要なこともあります。マインドフルネス的なアプローチにしても、アドラー心理学的なアプローチにしても、強い憎しみには時間をかけ、ゆっくりと向き合っていきましょう。向き合えない時期があってもいいですし、深く悲しんでいる自分自身にとって一番建設的で無理のないアプローチをしてみて下さい。

憎しみ・嫌悪感については色々な切り口でお話ができるのですが、今回はコンパクトに、マインドフルネスとアドラー心理学を使った考え方をご紹介してみました。あなたに合うアプローチ・考え方が見つかることを祈っています。