心が楽になる「話の聴き方」

私を変えた「話の聴き方」

マインドフルネスを実践するようになって、少しずつではありますが、人の話を聴く時にも自分の意識を「今ここ」に向けていることができるようになってきました。そのおかげなのか、「話を聴くのがうまい」とか「話を聴いてもらうだけで心が落ち着く」と言っていただく機会が少しずつ増えてきたように感じています。

私の聴き方は、私のマインドフルネスの恩師であるJ先生の真似っこです。先生がいつも私の話やクラスの友達の話を聴いてくれた時の姿勢をそのまま真似ているだけ。この聴き方で人の心を楽にできることも嬉しいのですが、私にとってもとても嬉しい効果がありました。自分の感情と向き合う時、この「聴き方(聴く時の姿勢)」を使い続けることで、どんな感情にも蓋をせず、優しく受け止めることができるようになったのです。ものの見方や感情のバランスを失ってもまた平衡感覚を取り戻せるようになったのも、この姿勢のおかげだと思います。

今回はそのJ先生の「苦しんでいる人の話の聴き方」をご紹介します。

話を遮らない

人の話が長くなったりくどくなったりすると「ここまでの話、ちょっと整理しようか」などと言って、つい遮ってしまうことがありますよね。自分の意見を挟もうとして、相手を止めることもあります。

J先生は絶対に話を遮りませんでした。私が話し続け、私から言葉がでなくなるまで、私を優しく見つめながら穏やかに聴いてくれました。私が言葉につまり、しばらく沈黙していても、「どうしたの?」とか「それで?」「もう話は終わり?」等とは聞かず、その沈黙さえも受け入れ、私がまた話し出すまで待っていてくれましたので、話足りないと思ったことは一度もありませんでした。J先生の前では、時間をかけて話していいんだ、焦らずに思いのままを伝えても大丈夫なのだという安心感がありました。

自分の心の中がネガティブ感情でいっぱいの時、私が取っている姿勢は「ただ感情が生まれてくるままにする」、「押さえつけない」。これは先生の「遮らない」姿勢から学ばせてもらったものです。

良い・悪いのジャッジをしない

先生は話の内容に対して「それはいいね」「それはちょっと…」といったジャッジを一切しません。相手が悪い、私が悪い、その考えは良い、その考えは変えた方がいい…そういう価値判断が一切ない場で話をするのは、最初はちょっと違和感がありましたが(無意識に先生から同意を期待していたこともありましたので…)、慣れてくると、価値判断がないお陰で、自分が話している内容、話しながら感じている感情をを客観的に観察できるようになりました静かな、暖かい場所で、焦ることなく話せる環境があると、感情に色づいた言葉を落ち着いた目で見ることができるのではないかと思います。

私たちは良かれと思って、「それは相手が悪いよ!」とか「xxさんの考え方は間違ってないと思うよ」などと価値判断を入れてしまいます。ですが、この価値判断が自己正当化や相手に対する敵対心を呼び起こし、結果的に偏った見方になったり、一つの考え方を選び固執することでその場の気持ちをなんとか収めるという、中途半端な解決に逃げる結果になっているのかも知れません。

相手の考え・訴えに対して肯定も否定もせず、ただそのままにしておくことは時に勇気が必要ですが、話し手にとってはそのジャッジフリーの環境こそがバランスの取れた振り返りの場になります

アドバイスをしない・指示を出さない

話が終わったからと言って、「だったらこうしなさい」「こういう考え方もできますよ」というアドバイスは出てきません。「シェアしてくれてありがとう」「話してくれてありがとう」という優しい感謝の言葉と、「今は苦しいんですね」「いろいろな感情がありますね」という現状描写のコメント程度。これも慣れないうちは違和感がありましたが(先生に頼り、先生からの回答を求めていたので…)、何もアドバイスされないことで、「自分の力で自分の中から回答を引き出すのだ」「答えを出せるのは自分しかいないのだ」という覚悟ができました。

先生は決して冷たく突き放したのではなく、暖かく見守りながら、私が自分で答えにたどり着くだろうと信頼してくれているのが先生の表情や言葉、声のトーンからもよく分かりましたので、自分もまた、暖かい気持ちで自分を信頼し、感情と向き合うことができるようになりました。

もちろん、瞑想方法など、具体的なアドバイスをいただいたことはたくさんあります。ただ、自分の苦しみに対する処方箋に関しては、いつも「自分で探してごらん」と優しく「突き放して」くれました。私が苦しみの答えを外に求めないようになったのは、この「優しい突き放し」があってのことでした。

話し手の感情表現を暖かく見守る

…ほらほら、もういい加減に泣くのはやめなよ…
…そんなに怒ったって仕方ないでしょ!

いつまでも泣いている人、怒りを収められない人にかけてしまう言葉ですよね。

ですが、「相手の感情表現を暖かく見守る」ことは、感情に対して尊敬を示すことです。先生は、私がどんなに感情的になっても、泣き出し、涙が止まらなくなっても、泣きたいまま泣かせてくれ、穏やかな表情でずっと待っていてくれました。怒りが出てきても同じこと。先生を攻撃しているつもりではないのに、先生に向かって怒りが向いてしまうことがあっても、穏やかに、時折軽く頷きながら話を聴いてくれました。泣き終わった時や怒りが言葉になって出ていった後、先生が優しく言う「話してくれてありがとう」という言葉に、こんどは別の涙が流れたこともありました。

自分の中で感情が荒れ狂う時、私の姿勢はこの時の先生の姿勢と同じです。感情が荒れ狂うなら、荒れ狂うままにしておく。荒れ狂っている状態を受け止め、穏やかに包み込む感じです。先生のような優しい眼差し、優しい言葉を私の感情にも向けつづけていると、感情は必ず収まり、クリアな視界が戻ってきます。無理に泣くのを止めさせても、怒りを無理に納得させて抑え込んでも、それはいずれ別の形で噴出します。泣きたい時は泣いていい。怒りが出てきたらしっかりと感じ切る。これも、話し手の感情表現をありのままに受け止めてくれた先生から学んだことです。

 

 

今回は、私がお手本にしている「聴く姿勢」と、その姿勢が私の中にどんな変化をもたらしてくれたかを簡単に書いてみました。

私が娘の話を「遮らない」「アドバイスしない」の2点に気をつけて聴くだけで、娘はとても気持ちが楽になるようです。皆さんも身近な方のお話を聴く時、どれか一つを試してみてください。自分が苦しい時も同じです。自分の感情の声が聞こえたら、これらの姿勢を思い出して、是非自分自身の「善き聞き手」となってあげてください。