人の愚痴を言わない体質を作ろう

誰にでも、人の愚痴を言いたくなる時はありますよね。皆さんはよく愚痴るタイプですか?それとも人のことはあまり気にならず、愚痴フリーなタイプでしょうか?

かつての私は人の批判ばかりしていたので、愚痴もしょっちゅう言っていましたが、マインドフルネスを実践するようになってから、人の愚痴を言うことがとても少なくなりました。マインドフルネス瞑想を通して自分の中を観察することによって、「愚痴を言いたい衝動」がどう生まれてくるのかがわかってきて、その衝動と上手く向き合えるようになったことが理由のように思います。今回の記事では、私が自分の心を観察した結果、気づいたことを元にして、愚痴を言いにくい体質を作るヒントをお伝えします。

愚痴を言いたくなる時はどんな時?観察しよう

愚痴を言いたくなる時の自分はどんな状況なのか観察してみると、色々なケースが見えてきます。私が人の愚痴を言いたくなる時は、以下3つの状態のどれかです(いくつかに当てはまることもあります)。愚痴が生まれてくる土壌を理解するのは「愚痴対策」の第一歩だと思いますので、皆さんの場合はどうかなのか、ちょっと考えてみるといいかも知れません。

疲れている時

身体の疲れがたまっている、寝不足や病み上がり等、体の調子が良くない時、また、仕事や育児などの日常ストレスで心がいっぱいな時は愚痴りたくなります。心身が疲れていると、いつもなら大して気にならないことにも過剰反応しやすく、ちょっとした人の言動が気に障ったりします。心がザワザワするものの、心はすでにキャパシティーいっぱいなので処理しきれず、言語化して外に出したくなる感じですね。私の元上司はまさにそのタイプで、「愚痴の量=仕事のストレスの量」がはっきりと、面白いくらい見てとれました。自分も、疲れている時は、担当になっているゴミ出しを旦那さんが一度忘れただけで、彼の愚痴を言いたくなってしまいます。

「自分が正しい」と信じ切っている時

人の愚痴が出る時は、必ず「私が正しい」という物差しで人を計っています。私の場合はいつもそうです。遅刻は許されない、会議では全員の意見を尊重しなければならない、といった組織の決まり事、「クリスマスは家族で過ごさねばならない(ドイツでよくある信念です)」といった文化的習慣、「穴の開いたジーンズはみっともない」といった個人的な主観まで、「私の見方」を絶対的な物差しとして人を計ると、愚痴は出やすくなります。しばらく前にアメーバブログで「会社のお局さんの、ぼさっとした、手入れされてない髪型があり得ないんです!」と愚痴っている記事を目にしたことがありました。本当に些細な主観でさえも、それを「絶対的な正」とすると、人の髪型まで愚痴のネタになるのです。

その人に自分の意見を言う勇気がない時

そんなに不満なら、その人にそう言えばいい。でも言えない。だから愚痴るのですよね。それほどにも自分が不快に思うのなら、勇気を出して、言葉を選んで相手に自分の気持ちを伝えればいいのに、それができないから、愚痴を言うのです。言えない自分の不甲斐なさ、勇気のなさを直視する代わりに、誰かに愚痴を聞いてもらい、同意してもらうことで自分を納得させようとします。私の仕事に関する愚痴の発生源は、大抵ここにあります。

原因に丁寧にアプローチしよう

理由がわかれば対応はおのずと見えてきます。

1.疲れている時

疲れている時は休みましょう。疲れている時に愚痴を言いたくなったら、

今の私は疲れているから、本来の自分よりも反応しやすくなっているんだ
体調が戻ったらもう一度見直してみよう

という感じで、愚痴を言いたい気持ちと距離をとります。心身の調子が戻ってきたら、「なんであんなことが気に障っていたんだろう」と自分が滑稽に思えるものです。

2.自分が正しいと信じ切っている時

アドラー心理学の認知論でも説いているように、人はそれぞれ、特有の認知の眼鏡をかけて世界をみています。自分にとっての非常識が相手にとっての常識であること(またはその逆も)は、ごく普通にあることです。自分の認知の眼鏡に固執すればするほど、それにそぐわない他者の言動が気に障り、不快度も高くなります。自分の主張、自分のものの見方を大切にするのも良いのですが、時には見方を少し緩めてみる、変えてみる、相手の眼鏡をかけて世界を見てみる努力も必要です。

3.その人に意見を言う勇気がない時

愚痴りたい衝動を感じた時、自分は本当はどうしたいのか考えてみましょう。衝動に心を預けず、いったん止まって自分はどうしたいのか自分に問うことで、相手に意見を言うのか言わないのか、意識的に選び取ることができます。「意見を言わない、今の自分には言えない」と自分で選択したのなら、もう愚痴を言う必要もありません。「言う」と決めたのなら、相手と自分にとって建設的な方法を熟考した上で行動に移しましょう。「この愚痴を、何のために言うのか」を考えることは、自分の心の状態を知り、自分の心をどう育てたいかを改めて意識する、とても大切なステップです。

愚痴は言わない方がいい理由

私は愚痴は言わない方がいいと思っています。

愚痴を言うことが習慣になっていると、「愚痴を言うためのネタ探しセンサー」の精度がどんどん上がってしまいます。特定の人の愚痴を言っている人は、身に覚えがあるかと思いますが、例えば、その人の嫌なところばかりに目が行ってしまうのです。人のあらさがしをし、批判やダメ出しを心の餌として与えていると、心は更に貧しくなっていきます。自分のものの見方に固執し続けば、視界は狭まり、人の幸せを願うこともできなくなります。

大げさに聞こえるかも知れませんが、心のメンテナンスをするということは、「愚痴を言わないように努力する」といった地味な作業の積み重ねなのです。そして、衝動に任せて愚痴を言う方が、愚痴を言わない努力を積むことよりずっと簡単です。ですので、最後に、愚痴を言わない体質を作るためには努力と意思も必要だということを付け加えておきますね。